translate everything, not just words 言語だけではなく、あらゆるものを翻訳する|関口涼子
関口涼子(せきぐち・りょうこ)
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遠くへの愛と
言語を「翻訳」すること
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関口涼子さんの最初の言葉にまつわる思い出は、絵本に出てくる外国人と自分の名前の違いに気がつき、「外国にいったら自分の名前はどうなるのか」と父親に尋ねたことだという。まだ、普通名詞と固有名詞の違いも曖昧な、幼稚園に通っていたころの話だ。小学生になってからは、『メアリーポピンズ』や『大草原の小さな家』など、海外の児童文学書を手に取った。
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「それまでは幼いながらに、どこか遠いところから来たものを、こちらのものとするときに使う日本語は、自分たちが普段話している言葉と少し違うと感じていました。もう少し成長して読んだ『メアリーポピンズ』は、異文化圏のストーリーが、日本語として言葉で読みとれるのだけど、翻訳することで生じる陰みたいなものがその背景に見えてきて。子供心になんてミステリアスなんだと思ったんです。どこか知らないところ、こことは違う世界があると感じる作品でした」
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小学生にして、翻訳についてかなり意識的になっていたという。一つの作品を異なる訳者で読み比べることもあったそうだ。
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「小学校の文集に『いつか福音館書店(児童書の出版社)に入って働きたい』と書いていて。福音館書店が出している本の翻訳が好きだったんでしょう。一方で、違和感を持っていたのは、日本の方言になっていた翻訳。例えば、フランスのマルセイユの言葉を大阪弁にするなどの置き換えをする翻訳もありますが、『これじゃないんだよな』という感覚が自分の中にはっきりありました」
文学で生きていくことに具体性を帯びたのは、進路を考え始めたタイミングだったという。もちろん文学部に行きたいと思い、早稲田大学へ進学。フランス料理の名前に惹かれたことをきっかけにフランス文学を専攻した。
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「大学では、ヨーロッパ中世の詩歌や当時の北フランスで話されていたオイル語を学んでいました。フランス文学を知りたいと思ったときに、その根幹となる土台がまず気になるタイプなんです。堀り癖があるというか。16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで使われていた、“クラブサン”というニッチな鍵盤楽器を習ったり、当時のフランス料理を調べたりしていました」
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ずっと文学を通して、遠い異国の言葉、文化に思いを巡らせていた。それも自分から遠ければ遠いほど、興味が湧いて気になってくる。外国語を訳して理解を深め好奇心を満たす、その繰り返し。関口さんは、これを“遠くへの愛”と呼ぶ。
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改めて、いま関口さんが思ういい翻訳について尋ねてみると“文化的な距離があることを無しとしないこと”だという。その方が、異国の文化や言語に対して敬意を感じるのだとか。
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「どんな翻訳にも言えることですけど、読み手が『なんだろう、これは』と思うのは大事なこと。特に児童文学書においては、あまりにも綺麗さっぱり訳して日本語に置き換えてしまうと、子供たちが世の中には日本的な世界観しかないと思ってしまうんじゃないか。そんな気がしてしまうんです」
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目に見えないものも
「翻訳」して伝える
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フランス語の著書『Nagori』では、比較文化論的な視点を用いながら、フランス語に翻訳が難しい「名残り」という感覚をフランス人にも理解できるような感性で綴った。また、『ベイルート961時間とそれに伴う321皿の料理』では、レバノンの首都に住む人達にインタビューを行い、現地の食、味をもって街の性格を表現し、さらには現在の国が置かれた状況を伝えた。つまり、翻訳の域が、自国にない感覚、風習、概念にまで広がっているのだ。
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「言葉が素晴らしいのは、“話せばわかる”とよくいうように、言葉があるから繋がれることって沢山あると思うんです。食のジャンルでいうと、味は主観的なものだから言葉だと伝わりにくいと言う人が多い。それなら、絵画だって誰もが同じように見ているとは限らないですよね」
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いま、自分がどう感じているかを口にすることで、本当だったら自分の中に留まるものを共有できる。あたり前のことのようだが、言葉にしかできないことだ。
「味や香りの表現って、人それぞれ本当に違うんです。テクスチャーで表す人は、『ざらざらした味』、『ちょっと菌を感じる』、『ほこりっぽい味だね』などと言います。『花びらのイメージが湧いてくる』とか、『牡丹の花ようだ』と花のメタファーで表す人もいる。人物や風景に例える人も。正解はなく、人それぞれの言い方で伝わることがあります」
去年、関口さんはフランスのブルターニュ地方にある二つ星レストランの本を作る仕事をした。そこで出される料理を食べるとどんな気持ちになるか。それを後世に伝えるための本だ。その取材時に、印象深いことが起きたという。
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「3つの素材からできている料理を食べました。グウェルというヨーグルトみたいなものの上に雲丹が乗っていて、その上からジャスミンの花とジャスミンオイルをかけた料理で。不思議な組み合わせだと感じるかもしれませんが、とてもとても美味しかった。『雲丹が四つ足を生やして歩き出したみたい。つまり海の生きものなのに、陸の生きものになったように感じた』とシェフに話したんです。すると、『きっとヨーグルトの乳製品が持っている香りが、雲丹を陸の方へ引き寄せたんじゃないか』という話になったんです」
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関口さんは、その話を「すごく面白いものを食べた」と、別の料理人に伝えた。
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「すると『それはヨーグルトじゃない。ジャスミンのせいだ』と言われたんです。ジャスミンの精油にはほとんど動物的な香りのする種類があるから、他のものをアニマリックに引き寄せるのだと。その話を持ち帰って、またブルターニュのシェフに伝えたら、すごく納得したようで。料理人として、本能的にはわかって料理していたんだと思います。でも、それまで違う考え方で素材を捉えていたのに、他者の言葉をもらった後は、ジャスミンが持つ動物的な特性を考えて他の素材と組み合わせるようになったそうです。言葉にして伝えることで、気づきがあって新しいものが生まれる。よく見方によって、2つのものに見える錯覚的な絵ってあるじゃないですか。あの感覚にているなと、面白いと思いました。私の基本となっているのは、やはり翻訳者の感覚。色も香りも、目に見えないことを言葉にして伝える。一種の翻訳行為だと思っています」
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人間関係も「翻訳」
行為のひとつ
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翻訳者という仕事には、世界に対してポジティブでいられる仕事だと関口さんは語る。翻訳者はみな、絶対に言葉で伝えられる、言葉で理解できると信じているのだとか。
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「本の出版にまつわるトークショーなどで、必ずと言っていいほど『ここは翻訳できないのではないですか』と聞かれます。質問としては間違っていないですし、訳すことで失われるものも確かにあるんです。でも、伝わらないよりはマシで。翻訳して、半分しか伝わらなかったものが、重ねて伝えていくことで6割になり、7割、8割になっていく。これは人間関係も同じですよね。一回だけ会っただけではわからないけど、何回か会っていろんな微調整をしていく中で、互いの理解が深まっていく。前はこう言っていたから、こう捉えちゃっていたけど、本当はこういうことが言いたかったんだなと。『馬鹿なこと言ってるんじゃないよ』と言うにしても、いろんなニュアンスがある。大きな意味では、これも人が無意識のうちにしている一種の翻訳行為というか。相手の気持ちを自分の中で翻訳しているんと思うんです」
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確かに、人と人は言葉をかわすことで距離が縮まる。そうやって、人間関係はいかようにも変化していく。
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「対話についても、同じような思いがあるんです。相手がいて、生きもの同士、お互い気を配りますよね。それでも誤解って必ず生じるから、まずはオプティミストでいることが重要。また次に会ったときに言葉を交わせば、訂正できるかもしれないし。本の翻訳は、一回でできることはまずないんです。自分の言葉を書いている時よりも、もっともっと書き直しをするし、それに編集者が『もっとこうしたほうがいいのではないか』、『この日本語のほうがスムーズじゃないですか』と提案してくれる。さらに、校正の人が入る。作業として複数のレイヤーが入っているんです。一冊の本を翻訳することは、一人の人と仲良くなる過程に似ています。初めて読んだときと、翻訳し終えたときだと、その本との付き合い方が全く違っている。作品にもよりますが、長年連れ添った夫婦のように、癖もいいところもわかっているという感じですね。著者とは、やりとりがある時とない場合があります。事実関係を確認したり。作家によっては亡くなっていますし。翻訳業をどうせできないことに向き合わなくてはならない苦行だと思ったことは一度もなく、とても楽しい仕事だと思っています。これからも、様々な翻訳行為を試みていきたいですね」
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