the power to give it all 夢ではなく“好き”を探求。服を纏うことと、作ること|榎本紀子
the power to give it all 夢ではなく“好き”を探求。服を纏うことと、作ること|榎本紀子

the power to give it all 夢ではなく“好き”を探求。服を纏うことと、作ること|榎本紀子

photo jin yamamoto
text nico araki

2024.07.15

ポップアップストアを開けば海外からもファンが詰め寄せる人気ブランド〈nori enomoto〉。デザイナーの榎本紀子さんは、華やかなスタイルやものづくりの姿勢が支持されている。最近では、東京コレクションで〈anrealage homme〉のヘッドピースを製作するなど、ファッション界での信頼も厚い。少し前まで確かな目標がなかったという彼女は、どのようにして情熱を捧げるものに出合えたのか。

榎本紀子(えのもと・のりこ)

1996年生まれ。共立女子大学被服学科卒業後、文化服装学院服飾研究科へ入学。技術専攻に進学し卒業後、「RAINBOW SHAKE」に入社し、パタンナーとして活動。2020年、“絵になる小物”をコンセプトにした〈nori enomoto〉をローンチし、バッグやポーチなどを展開する。今年3月には〈anrealage homme〉のヘッドピースも手がけた。

instagram @37nori

 

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憧れの雑誌が教えてくれた

装うことの高揚感

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約100着ものドレスを所有しているという榎本さんは、ファッションスナップの常連。インスタグラムに投稿される華やかなスタイルも注目されている。ファッションに目覚めたのは、身長が伸びたことがきっかけだった。

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「小学6年生で160cmあったんです。急にキッズ服が似合わなくなり、母の行きつけの〈SM2〉で大人の服を買ってもらいました。着てみたら骨格や背丈に合い、とてもしっくりきたし、デザイン性のちがいにも衝撃を受けました。中学校に上がって、雑誌『Zipper』に出合い、服装は青文字系ファッションに。いちごちゃんがプリントされたトレーナーや厚底のスニーカーなど、とにかくカラフル。当時は、読者モデルの瀬戸あゆみさんやAYAMOさん、中田クルミさんが出ていて、こまめにアメブロもチェックしていました。原宿系のブランド品を買うようになってからは、とにかく服を着るのが楽しくて、おでかけの予定がなくてもコンビニへ行くためだけに制服から着替えることも」

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学校では制服の着こなしも工夫していたのだそう。

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「とても規則が厳しい学校に通っていたので、怒られない範囲でいかに制服をアレンジするか頑張っていましたね。たとえば、靴下はXXLサイズにして、無理やり伸ばしてハイソックスに。髪型は、セーラーに合う黒髪で前髪ぱっつんに重ためのロング。そのとき築いたスタイルは、今の自分を作っています」

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学生時代は、服装の好みがどんどん移り変わっていった彼女。原宿系ファッションの次は、全身〈コム デ ギャルソン〉で固めることもあった。この日は〈セシリー バンセン〉の華やかなドレスを着用。

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心から夢中になれるものを

模索した大学時代

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共立女子大学被服学科に進学。マーケティングや被服環境学、ときにはパターンの作図など、さまざまな授業を受けながら、自分の“好き”を探った。

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「漠然と服飾関係の仕事に就きたかったけれど、高校生のころはどんな職種があるのか知りませんでした。“生産管理”と聞いてもピンとこない。ましてデザイナーは自分とは最も縁遠い気がする。なにから学べば良いのかわからなかったので、ファッションを広く学べる学科がある大学を選びました」

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入学と同時に加入したのは、お兄さんに誘われたお笑いサークル。運営側として、照明や音響などをしていたのだそう。

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「実は、小さいころからテレビっ子でした。夏休みの楽しみは、お昼の生放送番組。『笑っていいとも!』は、常にスタッフさんの動きを想像しながら視聴していましたね。画面と時計を見比べながら、時間が余っているから会話を繋げる必要があるなとコーナーごとのタイムスケジュールを考えたり、タレントさんの顔がアップになったら、今パネル交換しているのかしらと予想してました。昔から、そういった“ものづくりの仕組み”が、気になっちゃうんです」

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サークル活動や授業に追われ、気づけば就職を考える時期に差し掛かる。

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「お笑い番組をチェックしたり、単位を取ることに専念していたら、大学生活は本当にあっという間。あらゆる自分の“好き”を追求していましたが、興味があっても周りと比べたら仕事にするまでの情熱はなく、心から楽しいと思えることに出合えないまま4年生にあがります。そこで洋服を作るゼミに入り、『ロンドンファッションにおける反抗・反逆精神を服から読み解く』というテーマで、クリノリンを背負うドレスを制作。食事もそっちのけで作業するほど、ミシンを踏むのが楽しくて仕方ありませんでした。服作りの技術はほぼ独学だったので、本格的に勉強したいと思い、文化服装学院服飾研究科への進学を決意したんです」

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今回、取材した場所は榎本さんが所属する会社のアトリエ。〈nori enomoto〉のバッグやポーチは、色数が多いのも魅力。合皮やリボン、糸に至るまで豊富なカラーパレットを組み合わせている。

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毎日提出する課題に

必死に食らいついた

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文化服装学院服飾研究科は、針を通すところからはじまり、スカート、パンツ、シャツ、ジャケットを制作するカリキュラム。生地選びからデザイン、構成、ショーの開催まで行う。

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「普通の服装科が2年で学習するところを1年間で学ぶ学科でした。毎日、抱えている課題をこなすのに必死で、かなりハードな日々を過ごしていました。締め切り期限を超えてもクオリティの高いものを作るか、期限を守り実力の範囲内でできた成果品を提出するのか、どちらの方が自分のためになるのだろうと最初の1カ月は迷いましたね。私は社会に出てからのことを考えて後者の選択をしました」

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せわしなく出される課題をこなしていくことで、やっと“なりたいもの”が見えてきた。

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「毎回、デザインしてからパターンを引いて、ショーをするという流れを繰り返していたら、ファッションアイテムを作るのは好きだけど、見せ方には全く興味がないと気づきました。そこで、2年目はパタンナーを目指せる技術専攻科に進みます。服装科と比べて時間ができたので、就職活動に本腰を入れてました」

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自分で編み出した

仕組みがおもしろいデザイン

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今でこそ〈nori enomoto〉の象徴的なカーブのシルエットは、学生時代のちょっとした思い出から生まれたモチーフだったそう。

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「技術専攻科ではレザーやファーなど特殊素材を縫うため、まち針が曲がって使えなくなってしまうことが多々ありました。教室に『針供養ボックス』という箱があったので、そこに入れるためにまとめていたら、くねっている針の集合体がとても綺麗だったんです。いつかそのイメージを自分の作品に落とし込もうと考えていました。その後、コロナ禍に入り、手元に生地がたくさん余っていたので、マスクを自主制作。うねうねとしたディテールを取り入れたのはそれが初めてです」

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コロナ禍でマスク不足だった時期に、100枚ほど制作し配っていたという。

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作風が確立してからは、次々とオリジナリティ溢れる小物を生み出した。

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「ある日、PVCのミニポーチを作ってインスタグラムにアップしたら、『購入したいです』という連絡をいただいたんです。ドキドキしながら、販売サイトで30個ほどアップしてみたら、なんと30秒で売り切れた。そのときに私が好きなものは、みんなも好きかもしれないと、自分のものづくりに自信がつきました」

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巡り会いによって

チームにも恵まれた

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パタンナーの仕事をする機会が訪れたのは在学中。現在、所属している会社「RAINBOW SHAKE」に就職するきっかけにもなった。

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「2019年の秋に、デザイナー相羽瑠奈さんからお声がけいただき、〈RRR〉というブランドのパターンを3型担当することになりました。それまで、仕事として制作をしたことはなかったので不安でいっぱいでしたが、このチャンスを逃してはいけないという気持ちで引き受けました。瑠奈さんが提案するのは2WAYや3WAYなど、何通りも着方がある服。お客様を第一に考えている姿勢に共感できました。サンプルが上がってからも『販売まで一緒に見届けませんか』と誘いがあり、最後まで成果物に携われることにやりがいを感じました」

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就職後、学生時代からSNSに投稿していた作品が、「RAINBOW SHAKE」の代表・山田雅之さんの目に留まった。パタンナー業務とともに〈nori enomoto〉をローンチすることになり、アイテムの製品化も実現。遠い存在だと感じていたデザイナーになった彼女。10人以上のスタッフとともにチームで運営している。

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「授業で学ぶデザインは退屈だったけれど、おもしろい仕組みのアイテムであれば構造を考えるのが楽しいことに気づいたんです。〈nori enomoto〉のバッグやポーチは、合皮を切り抜きリボンでパイピングしているのですが、この仕組みや工程は作業をしている自分もおもしろい。そして、一人でデザイナーになった感覚はなくて、チームだからブランドが成り立っています。百貨店との数字のやり取りや配送業務など、スタッフがいるからうまくいく」

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代表的なバッグ「mardi matin」。榎本さんの作るバッグは、カーブが左右非対称になっているのだそう。「整いすぎてしまうと近寄りがたいものになってしまう。せっかく手でものづくりしているのに遊びがないのはもったいないので、フリーハンドでシルエットを描いてから定規で整えています」

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今年3月には、〈anrealage homme〉24-25秋冬コレクションでヘッドピースの製作を担当。服を見たのはショーの直前だった。

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「デザイナーの森永邦彦さんとはファッションウィークにパリでお会いした程度でした。新しくはじめるメンズラインの"頭周り”を考えてほしいと依頼を受け、帽子は作ったことがないけれど、せっかくのお話にNOはないと思い挑戦。ブックやデザイン画を見せてくださいと言ったら、『見ないで作った方がおもしろいと思うんだけどどう?』と言われました。でも、あまりにもヒントがないのは不安だったので、キーワードを教えてもらうことに。例えば、色味はデンマーク、上品さがある、クラシック、おとぎ話っぽい雰囲気があっても良いかも、など。そのキーワードをもとにサンプルを作っていきました。服と自分が作った帽子を合わせる撮影日は緊張しましたが、モデルさんが着用した姿を一目見てとても感動しました」

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着実にキャリアを積み、活躍の場を広げてきた彼女。自分のことを過信せず地道に努力を重ねてきたからこそ、天職にたどり着いた。

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「現実主義なので夢を思い描いたりはしませんが、今のところ周りの人も幸せそうなんです。私の活躍に親も喜んでるし、チームのみんなも仕事にやりがいを感じてくれている。みんながハッピーだからこのままブランドを続けていきたいですね。ここまでこれたのも目の前にあることを全力で頑張ってきたから。コツコツこなしステップアップしていくのが大事なのだと思います」

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