beauty & wisdom: my name, my essence 美しく、智を持って。授かった名前を指針に、滲み出る“私らしさ”|セキミチコ
セキミチコ
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両親から受け継いだ
アートに根差した豊かな感性
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インタビューのためにお店を訪れると、テーブルの上にはクロワッサンが並んでいた。「どうぞ食べてくださいね」と差し出してくれたセキさんの和やかな雰囲気に、こちらの緊張もすっとほどけていく。その柔らかな人柄に触れ、作品に宿る温かさの理由を垣間見たような気がした。彼女が創作において大切にしている“自分の在り方”。その指針となっているのは、両親から授かった名前だという。
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「作品は正直なので、内面が自然と滲み出てしまうんです。ちょっとした線や表情に作り手の人格が現れるからこそ、取り繕うことはできない。だから、常に正直でいる“自分の在り方”は意識していますね。たとえば私の名前は、漢字で“美智子”と書きます。その名に恥じないよう、美しい心を持って、知恵を表現する人でありたい。美しいものを作りたいなら、自分自身の心も美しく保っていたい。そんなことをいつも心がけていますね。名前は、親が与えてくれたギフトだと思っています」

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「常に新しいアイデアが頭の中にあるんです」というセキさんが手掛ける〈Ceramichi〉の器。中央のプレートは、めくれ上がったようなディテールがカトラリーレストのような役割を果たしている。
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彼女のルーツを辿ると、家族の存在が欠かせない。大人たちがいつも楽しそうに働く姿に、幼い頃から憧れを抱いていた。
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「父はコマーシャルを制作するクリエイティブディレクターで、母も後に広告業界に入るのですが、もともとは絵を描いていました。忙しい職業だったと思いますが、二人とも毎日楽しそうに過ごしていて、とても仲が良かった。祖父母も穏やかな人たちでした。父方の祖母は美容室を経営していたのですが、いわゆる“キャリアウーマン”という雰囲気ではなく、いつも自然体でニコニコしている優しいおばあちゃん。従業員の方々を気遣い、周囲と調和して生きている姿は、私にとってひとつの理想像でした。一方、母方の祖父母は、祖父の仕事の都合を機に、祖父が家事を担い、祖母が働きに出るようになったんです。当時としては珍しかったかもしれませんが、家庭内に男女の役割を決めつけるような風潮がなく、とても風通しが良くて。そんな姿を見て育ったからか、私も早く大人になりたかったですね」
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幼い頃、大好きな家族と過ごした休暇。セキさんの心に刻まれている温かな記憶の中には、いつもごく自然にアートがあった。
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「家族でよく訪れたのは、長野県の別荘です。自然に囲まれた場所だったので、近くの茅野市尖石縄文考古館へ行って縄文土器を観たり、マリー・ローランサン美術館で彼女が描くナチュラルな女性の絵を眺めたりして過ごしていました。幼い頃に触れたそうした記憶が、今の自分の好みにもつながっている気がします」

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セキさんが縄を使って制作したアートピース。足繁く通った茅野市尖石縄文考古館で目にした縄文土器の造形に影響を受けている。
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マリー・ローランサンの図録をはじめ、大切にしているアートブックや絵本。今でも時間があれば美術館へ足を運びアートに触れる時間を大切にしている。
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土との出会いが導いた
私らしい創作の原点
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子ども時代の記憶には、実家の食卓の風景も色濃く残っているという。人を招いてテーブルを囲む楽しさが、日常の中に自然と根づいていた。
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「振り返ると、母の料理はとても自由でした。野菜の緑だけを散らしたちらし寿司が出てきたり、彩りを考えた和洋折衷の料理だったり。器選びも独自の視点があって、真っ白なマンションに住んでいた頃は、洋食器はすべて白で統一されていました。一軒家へ引っ越してからは、それまでの洋食器に加えて、カラフルな和食器も並ぶようになったんです。『今日の献立はこんな感じだから、合うお皿を持ってきて』と母に頼まれて、選ぶのが私の役割。料理にあわせて食器を自由に組み合わせるのは、とてもワクワクしました」
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最近はお皿のカケラで絵を描く作品も制作している。
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絵を描いていた母は、何を作るにしても独創的だった。憧れの存在である一方、どこかで自分と比べてしまう相手でもあったという。そんなセキさんが新たな道を見つけたのは、学校の工作の授業だった。
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「自宅で油絵を描くことはありましたが、どこかで『母には敵わない』という思いがあったのかもしれません。自然と別の表現方法を求めていて、小学校の工作の授業で土と出合いました。粘土で鳥の形をした笛を作るのがテーマで、思い切り自分好みに飾りつけをしたんです。そうしたら、アイデアが止まらなくなって、これなら永遠になんでも作れるという感覚になりました」
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新たに出合った、土で思いのままに形を生み出すプリミティブな表現。それはいつしか、陶芸作家になるという確信へと変わっていった。
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「いつからそう考えていたかはわかりません。でも不思議と『将来、私は陶芸をするんだろうな』という漠然とした予感がありました。でも、早く始めてしまうと、陶芸ばかりの人生になってしまう気がして、まずは自分がやってみたいことをひと通り経験してからにしようと思っていたんです」

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〈Ceramichi〉のお皿は、目黒川沿いにあるアトリエで制作が行われている。最近は、招き猫をモチーフにした置物も登場した。
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パリと東京で磨かれた
“当たり前”を覆す、自由な感覚
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制作途中で割れたカケラや窯の熱でめくれ上がってしまったいわゆる“失敗作”とされるものでさえ、セキさんは新たな価値を見出す。そのまなざしは、幼い頃から変わらない。“当たり前”とされるものを、そのまま受け入れることはなかった。
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「教科書に“青い空”と書いてあると、『なぜ一言で済ますのだろう』と疑問を持っていましたね。“青”といっても、いろいろな色調がありますよね。塗り絵をするときは、12色の色鉛筆では足りず、色を混ぜながら使っていました。昔から、与えられたものをそのまま受け入れるより、自分なりに納得できる形にしたかったのかもしれません。親戚から譲り受けたバービー人形がいたのですが、薄いピンク色のポリエステル製のドレスがどうしても自分の好みと合わなくて、すぐに脱がせてタイトな紫色のドレスに着せ替えたりしていました(笑)」

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「私にとってお皿のかけらは宝石なんです」。新作のリングも可憐な表情。
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大学生になると語学留学でパリへ渡り、文学や芸術についても学んだ。20代に差し掛かると現地の陶芸や釉薬の専門学校にも通う。
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語学留学を機にパリでの生活がはじまる。やがて陶芸や釉薬の専門学校にも通うようになるが、そこでもセキさんの根底にある姿勢は変わらない。既成の価値観にとらわれない独自の感覚は、パリと東京を行き交う暮らしの中でさらに磨かれていった。
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「パリのセラミックの専門学校にも通いましたが、私はろくろを回すのがあまり得意ではありませんでした。自分ではそこまで不器用ではないと思っていたのになぜだろうと考えてみたら、シンメトリーに形を作ること自体に惹かれていないのだと気づきました。機械を使って綺麗に整えるのなら、わざわざ私の手で作る必要はないかもしれない。それよりも、少しいびつだったり、歪みのある形の方がずっと面白く感じます。基本は大切だけれど、その枠に収まり切らないものの方が好きなんです」
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何を作っても滲み出る。
手から生まれる“私らしさ”
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“美食の都”パリ。専門学校卒業後は、現地のレストランから依頼を受けてオーダーメイドの器を作る仕事からスタートした。
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「パリのガストロノミー界は意外と狭く、新しいお店ができるとシェフたちがこぞって食べにくる。そこから私のお皿の口コミも広がり、次第にお声がけいただくようになりました。依頼はオーナーシェフからいただくケースが多いのですが、料理を引き立てることはもちろん、お客さまの視点に立って、その空間にも馴染む器を考えなくてはならない。難しくも、とてもやりがいがありましたね」
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パリで釉薬の調合を学んだセキさんの作品は、ドラマチックな艶を放つ。
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その後、自身のブランド〈Ceramichi〉を立ち上げ、日本で販売するために提案したのは、半円や扇形のプレートだった。日本では古くから器の「割れ」や「欠け」を縁起が悪いと避ける文化がある。そのため、今の人気ぶりからは想像しがたいが、当時は周囲から「日本では売れないのでは」と心配されたという。
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「6年ほど前、日本に活動の拠点を移そうと、周りの方に相談したんです。すると、『日本ではお皿が割れているようなデザインはタブーとされているから、受け入れられにくい』という意見が多くて。展開するなら、まずは定番の丸いお皿を揃えて、そのバリエーションとして変わった形を提案する方がいい、と。器として扱いやすいように縁を入れてほしいとも言われましたね。そこまで難しいものだろうかと驚いたのですが、実際に販売してみると、お客さまからも最初は『これ、割れていますよ』『斬新ですね』という反応をいただくことがありました」
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ブランドを始めた時から制作を続ける「セパレートプレート」は、〈Ceramichi〉を代表するコレクション。円を分割したフォルムは、組み合わせによってさまざまな表情を見せる。
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しかし、セキさんはそうした周囲の反応をネガティブにはとらえなかった。“自分の在り方”を見失わず、自らの感覚を信じ続けるしなやかな強さがある。
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「人は、見たことのないものを前にすると、最初は少し戸惑うものだと思うんです。私は楽観的なところがあるので、これだけみなさんが反応してくださるということは、逆に心に引っかかっている証拠かもしれないと思いました。実際、少しずつ日本でも受け入れられていく感覚があって。初めて東京でポップアップを開催したときに、思いがけずすぐに完売したんです。お客さまご自身が、色や形の自由な組み合わせを楽しんでくださるようになったのは、うれしかったですね。結局のところ、何を作ったとしても、私の手から生まれるものには自然と自分の作風が滲み出ると思うんです。正解は人それぞれだと思いますし、これからも、その時々に自分が心から面白いと感じるものを作っていきたいですね」
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