things can’t be put into words 言葉にならないからこそ描く。その感覚を得た一枚の絵|山瀬まゆみ
things can’t be put into words 言葉にならないからこそ描く。その感覚を得た一枚の絵|山瀬まゆみ

things can’t be put into words 言葉にならないからこそ描く。その感覚を得た一枚の絵|山瀬まゆみ

photo eri morikawa
text aika kawada

2024.04.15

アーティストの山瀬まゆみさんは、体内で起こっている細胞の分裂や増殖、絶え間なく動く臓器など、普段は目にすることのないものに思いを馳せて絵を描いている。そんな彼女には、アートを志すきっかけとなった一枚の絵があった。

山瀬まゆみ(やませ・まゆみ)

東京生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、高校卒業と同時に渡英。ロンドン芸術大学、チェルシー・カレッジ・オブ・アーツ&デザインにてファインアート学科を専攻。現在は東京を拠点に活動する。抽象的なペインティングとソフトスカルプチャーを主に、相対するリアリティ (肉体)と目に見えないファンタジーや想像をコンセプトに制作する。これまでに、東京、ロンドン、シンガポールでの展示、またコム・デ・ギャルソンのアート制作、NIKEとコラボレーション靴を発表するなど、さまざまな企業との取り組みも行う。

instagram @zmzm_mayu

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はじめて感情を

一枚の絵にした高校時代

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山瀬さんの制作活動の原点となったのは、高校3年生のときに描いた一枚の絵だ。選択授業で履修した美術で手渡されたのは、まっさらのキャンバス。F6号という410×318mmのサイズに、アクリル絵の具を使って、気持ちが赴くままに手を走らせて描きあげた。

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「テーマはなく、なにを描いてもいい課題だったので、みんな自由に好きなモチーフを描いていました。いま思い返すと、高校時代特有のナイーブな感情や悩みを表現していたのだと思います。それは、もちろんポジティブなものだけではなく、もっと漠然とした不安みたいなものでした。人間関係の複雑さや、まだ決められていない進路などもあったので。使った色は自分で混ぜて作ったと思うのですが、原色に近くだいぶトゲトゲしている。きっと何かを吐き出したかったんだろうなと思いますね」

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左ページが、山瀬さんが高校時代に描いた絵。2022年に刊行した山瀬さんの初の作品集『Book of ...』に収録。

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 自分の作品が完成したら、気に入った他の生徒の作品を選ぶ。そして作者の生徒とディスカッションを行うという内容の授業だった。ペアにならなくてはならない。それなのに、自分の作品とスーパーサイヤ人のような架空の人物を描いた男子生徒の作品だけが誰にも選ばれずに残ってしまったという。

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「『まじか、残っちゃった。どうしよう』と笑うしかなくて。先生に『残った2人は一緒に話して』と言われて。決していい思い出ではなかったのに、それでもこの絵をきっかけにアートの道を志すことができたのは、先生が私の絵を評価してくれたから。それから観るべきアート作品や読んだ方がいい本を勧めてくれて、ほとんど美術の知識もなければ美大受験の準備をしていたわけでもないのに導いてくれた。おかげで、ファインアートを学ぶことを視野に入れて、高校卒業後のヴィジョンを考えられるようになったんです。思い返すと、母はイラストの仕事をしていたし、姉も描くことが好きでしたが、私自身は外で遊ぶのが好きな活動的なタイプ。それまではファインアートを学ぶとは思ってもみなかったですね」

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「この絵は、美術的な教育も知識もテーマも、何もない状態の私が、そのときの感情をそのまま描いた絵。もう二度と、同じように描くことはできないけれど、いまでも当時と変わらず自由に描くのが好き。色々考えすぎて筆が進まなくなると、たまにこの絵を思い返すんです。過去の作品を見て恥ずかしい気持ちも少なからずあるのですが」

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自分の作品を言葉で

伝えることへの苦手意識

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アーティストとして活動する傍ら、編集者やライターとしても仕事をしてきた山瀬さん。制作活動を経済的に支えるためにはじめた仕事だったけれど、楽しかったと語る。しかし、意外なことに、自分の制作物について言葉で語ることは苦手だという。

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「ロンドンの美大では、常に自分の作品を言語化することを求められました。日本だと綺麗に塗れているとか、技術で評価されることも多いのですが、イギリスはステートメントとコンセプトを自分の言葉で伝えるのが基本にあるように思います。観る人に説明なく抽象画を提示しても、何かを伝えるのは難しい。展覧会をするからには、自分だけがわかる作品にならないよう、説明する言葉が必要なことは重々わかっているんです。でも本来は、ちょうどいい言葉がないから絵を描いているというのはあるんです」

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アトリエの一角にあるデスクとバランスボールの後ろに、ソフトスカルプチャーの立体作品が鎮座している。

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美大時代に試行錯誤しているとき、授業の講評会で話しやすいコンセプトの作品として、臓器の人形のような立体作品を作るようになったのだそう。

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「すでに絵で描いていた、目には見えない体内のものを、じゃあ目の前に出してみようというアイディアでした。それをわかりやすく形にしようとして、細胞や臓器といったモチーフを絵とは異なるアプローチで作り始めました。でも結果的には、コンセプトに寄り過ぎてしまって、臓器の人形は絵で表現したことと一致しなかったんです。もっと絵に歩み寄りたい、絵を立体にしてみたいという明確な思いがあって。それでできたものがより抽象的な立体作品だったんです」

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絵と立体作品は、作業として全く異なる工程を経て完成する。立体作品は、完成までに時間がかかり、繰り返し縫っていく作業がまるでメディテーションのようだという。

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「立体作品は、3Dにしかない視覚的な面白さがあって、独立した生物みたい。作っていて楽しいんです。一方で、絵の方が圧倒的に、瞬時の感情が出やすいですね。絵はそのときの感覚や気持ちが直接表現できる。ダイレクトに筆先に表れると思っています。それこそ、高校のときに初めて描いた絵は、感情そのものでしかなかったわけですし」

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母になって変わったこと

と変わらないこと

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山瀬さんは、今年の2月にはじめて出産を経験した。妊娠初期に宮古島で開催した個展では、体調的に厳しいと感じることもあった。それもあって出産前は、アトリエの引っ越しなど、環境を整えることに時間と全てのエネルギーを割きたいという思いが芽生えたのだという。

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「変化といえば、かなり長い間、絵を描いていないんです。夏に個展をして以来。でも一切描かなかった反動で絵に対するモチベーションは高まっていて、とても意欲がある状態になれている。自分にとって、めちゃくちゃいいことでした。あとは、ずっとお腹にいた子供が生まれて、今後、私の作品がどうなっていくのか楽しみです。変わっていないことは、自分自身。出産は大変だったけど、あくまで人生の延長線って感じ。母親になったことは大きな変化ですが、人生の経過の一部だと思っています。何かが急にがらっと変わってしまうことはないですね」

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今年はすでに、夏に大阪での個展が決まっている。まだテーマも、構成も決まっていない白紙の状態だ。

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「一回、出産を機にまっさらな状態に戻って、純粋にただ描くことをしたくて。テーマやステートメントは確かに必要なものだけど、囚われすぎずにやってみたいと思っているんです。高校生のときみたいにとはいかなくても、でもそんな感じで取り組めたらいいなと思っているところです」

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