the book behind her novel カウガールたち|山内マリコ
the book behind her novel カウガールたち|山内マリコ

the book behind her novel カウガールたち|山内マリコ

essay mariko yamauchi
illustration yi seula

2025.05.15

時代の空気を繊細にすくい取る筆致で、多くの読者の共感を集める小説家、山内マリコさん。デビュー作『ここは退屈迎えに来て』をはじめ、『アズミ・ハルコは行方不明』や『あのこは貴族』など、これまでに発表した作品の多くが映画化されている。また、アートやカルチャーにも造詣が深く、その活躍の場は多岐にわたる。そんな彼女にも、かつて思い悩む時期があったという。“小説家になりたい”と悶々としていたとき、その思いに芽が出るきっかけとなったのが、アメリカの作家トム・ロビンズの小説『カウガール・ブルース』との出会いだった。

山内マリコ(やまうち・まりこ)

1980年、富山県生まれ。2008年に「女による女のためのR-18文学賞」読者賞を受賞。2012年、受賞作を含む連作短編集『ここは退屈迎えに来て』を刊行しデビュー。2024年11月に初めて富山を舞台に描いた『逃亡するガール』を上梓。その他の著書に『選んだ孤独はよい孤独』『一心同体だった』『すべてのことはメッセージ 小説ユーミン』『マリリン・トールド・ミー』など。

instagram @yamauchi_mariko

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春先にこんなネットニュースを見た。いまから20年以上も昔の話だが、就職氷河期のなかでも最も就職率が低かったのは「2002年度だった」という記事。その年の大卒者の就職率は55.1%で、約3割が就職も進学もしなかった計算になるんだとか。

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就職氷河期は1993年~2004年頃までの約10年間に及ぶ。なかでも群を抜いて就職率の数字が低い、グラフの“谷底”みたいになっていたのが、1999〜2003年だった。これはわたしの大学時代と思いっきりかぶっている。寸分の狂いなく!

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だからというわけではないけれど、就職しない人生を選んだ。リクルートスーツを着て面接に駆けずり回るような就職活動はしなかった。無理だったのだ。二十歳をとうに過ぎていたのに、わたしはまだ赤ちゃんみたいだった。心がやわやわで、とても社会に出る準備などできていなかった。仮に氷河期でなくても新卒で就職することはなかったと思う。神経が細く、過敏で、無気力で、ひどく憂鬱だった。お守りにしている文庫本を鞄に入れないと外にも出られない。いつもCDウォークマンのイヤホンで耳をふさいで、音楽を聴きながら黄昏れているか、音楽で自分を鼓舞しているかのどっちかだった。

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自分がなにをしたいのか、まだわかってなかった。けれど、したくないことはわかっていて、就職はその筆頭だった。社会人として、カチッとした服を着て、毎日同じ時間に会社に行くなんて。就職を恐れるあまり、それをすれば自分が穢れるような気さえしていた。

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そのくせ仕事への執着は強かった。自分が納得できる職にありつきたかった。職といっても自分を表現できる仕事に限る。どんな形でもいいから、なにか自己表現できる仕事をしたいというイガイガした欲望が心の真ん中にドンと鎮座していて、それが叶っていない現状にいつも苛立っていた。映画への夢は大学時代にぽっきり折れてしまっていた。残ったのは小説家への憧れだけ。

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フリーターとして雑貨屋さんでアルバイトし、一日が終わっていった。毎日が不完全燃焼だった。かわいい雑貨を並べているときにすら自己表現の芽がうずき、この暗い気分を書き残したいと気が急いた。ほとんど常に、自分のしたいことをできていない事実に落ち込んでいた。

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わたしの中には滾るような表現欲求がほとんど手つかずで残っていて、だからこそ苦しかった。自分のやりたいことに近づける方法はないか、フゴフゴ鼻を鳴らしながら嗅ぎ回っていた。そのくせ、野心がバレることを恥じた。小説を書きたい。素晴らしいものを書きたい。そう思っていることを人に知られたら死ぬ。しかも自分は、まだ小説を最初から最後まで書ききったことすらなかった。小説家になりたがっている自分を認めたくなかった。「書きたい」という胸の疼きを、纏わりつく蝿を手で払うみたいにずっと無視していた。“学生”という肩書きが失効してからの最初の一年は、そんなふうに過ぎた。淡水魚が海に放り出されてしまったように、消耗する日々。

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『カウガール・ブルース』を読んだときのわたしは、そんな状態だった。

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著者のトム・ロビンズは日本ではあまり名の通っていない作家だが、訳者あとがきによるとアメリカ本国ではこの小説によって、「特に若者のあいだで、ロビンズはトマス・ピンチョン、カート・ヴォネガット、リチャード・ブローティガンらと並ぶカルト作家となった」そうだ。だけど、どう贔屓目に見ても、ヴォネガットらとは人気も知名度もレベルが違う。かなりマニアックな存在で間違いないと思う。

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ではなぜその本を手に取ったのかというと、映画版を先に観ていたから。ガス・ヴァン・サント監督、ユマ・サーマン主演の映画『カウガール・ブルース』は、わたしが高校生のころにはどこのレンタルビデオショップにもたいていVHSが並んでいた。巨大な親指をした主人公のシシーが、スウェードのつなぎで路上に立ち、優美で独創的な動きで親指を突き立てるや、道行く車がキキーッと停まる。シシーは伝説的なヒッチハイカーである。と同時に、モデルでもある。いろいろあって女だけの牧場にたどり着き、カウガールたちと過ごすようになる、そんなストーリー。とてつもなく奇妙でまったく意味のわからない映画だが、すごく好きだった。ラブストーリーではなく、女の冒険譚みたいな話だった。

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大学を卒業してからは、ずっと出口のない迷路にいるみたいな、現実感のない日々だった。あごまで水に浸かるプールでずっと溺れながら歩いているような。その苦しかった真っ只中に、小説『カウガール・ブルース』はわたしのもとにやってきた。

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変な本だろうな、という予感はあった。だって映画が変だったし。二段組で400ページにもなる厚さだけど、別にひるまなかった。重たい話ではないことはわかっていたから。にしてもそれは、これまで読んできた他のどの本にも似ていなかった。

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表紙をめくってから本文がはじまるまではこんな感じ。まずは「世界中のカウガールへ」の献辞、「悲しみ極まれば笑う、喜び極まれば泣く」というウィリアム・ブレイクの詩の引用、【著者より】というメッセージには三人称の代名詞と集合名詞を“男性形”で使っていることへのお詫びが書かれている。

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ようやく扉ページをめくると、今度は【単細胞の序文】。細胞分裂で繁殖するアメーバは化石を残さず、水という乗り物で移動する。雲からパラシュートもなしにダイブする水は四元素のエースであり、水は永遠の旅をしている。水があるところにアメーバは便乗してついてくる。最高のヒッチハイカー。というわけで「アメーバをここに、『カウガール・ブルース』の公式マスコットとして任命します」。さらに、西部で最大の男人禁制であるラバーローズ牧場の屋外便所がいかに素敵かという文章があって、ようやくパートⅠの幕が開く。

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そこまで読んだ時点でわたしはもう、現実の悲惨さを忘れ、頬を緩めて泣きそうな気持ちに満たされていた。まだ物語はなにもはじまってないけど、もうこの本に救われていた。文章の一文一文が、優しくて、遊び心があって、チャーミングだった。気取った小難しい、権威主義的な文学とは無縁。ハートがあって、自分からバカをやって、ふざけてくれる文章だった。それでいて、なにか大きなことをやらかしてやろうと意気込む、いたずらっ子の気配がある。西洋文明への批判とエコロジー、フェミニズム的主張、詩と魔法の必要性。そういったテーマが、楽しい比喩に満ちた羽みたいに軽い筆致で描かれていく。一言でいうなら、親指姫がアメリカ大陸の中で、西洋から東洋へ、精神的な旅をする物語。ヒッピーカルチャー的と言ってしまえばそれまでだが、どこを読んでも心の中に乾いた風がひゅーっと吹き抜けていき、元気が充填される感覚があった。こんなすごい小説があるのか、この世に。言葉だけで、ここまで行けるのか。映像もなく、音楽も乗せず、言葉だけで。むしろ映画版とは比べものにならないほどだった。映画版は、失敗作だった。けど、とびきり前のめりに倒れた、素敵な失敗作だ。

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23歳のわたしは、このあともまだまだうまくいかない。なりたいものにはなれず、したいこともできない。いつも疲れていて、お金がない。だけど『カウガール・ブルース』を読んだことで、「こんな小説を書きたい!」という気持ちが、自分の中にとめどなく湧いた。枯れた泉から熱湯がぶくぶく噴き出したみたいに。おーい、温泉が出たぞ〜!と叫びたい気分。

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小説を書きたいな。

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わたしはやっとそのスタートラインに立ったのだった。小汚い格好をしてお風呂にも入っていないカウガールたちが、ぞろぞろとわたしを取り囲んで手をとり、よいしょよいしょと背中を押して、そこまで連れて行ってくれたのだ。

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