watercolors and a pocket radio 水彩絵の具とポケットラジオ|今日マチ子
今日マチ子(きょう・まちこ)
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水彩絵の具を買い集めては、少し描いて、またしまい込む。
こんなことをずっと繰り返している。
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私は漫画家だ。わりと遅くデビューしたので、いつまでも新人漫画家のつもりでいたが、あっという間にキャリアは中堅どころか、「長くやっている人」に足を突っ込みつつある。
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仕事で原稿を描くときは、デジタルで描いている。小学校の机くらいの巨大な液晶タブレットに、専用のペンで絵を描いていく。デビューした頃は紙とペンで描いていたが、時代の流れで、十年以上前に作画環境のすべてをデジタルに入れ替えた。デジタルのほうが圧倒的に速いし、依頼主からの修正などにもすぐに対応できる。仕事のための原稿でアナログが許されるのは、決め打ちが可能なよほどの大御所か、自身のスタイルとして貫いているごく一部の作家にすぎないだろう。
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それでも私は、定期的に水彩絵の具を買ってしまう。いま、マンガ原稿を描いているのに、さらに描くための絵の具を買う。おかしな行為だ。
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それは、昔、写生に出て水彩画を描いていた記憶があるからだと思う。
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美術大学を出てから、私は大学院に行く代わりに「セツ・モードセミナー」というイラストの学校に通った。ここは、重厚な作品が好まれる大学とは異なって、「軽さ」「風通しの良さ」を重視する学校だった。評価軸があまりに違うことにかなり苦戦はしたが、先生も生徒たちもフレンドリーだったし、センスの良さというものをすでに手に入れている人が多く、学ぶことが多かった。
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セツのなかで、年に一回、六月の頭頃に写生会というイベントがあった。数日間泊まり込みで、千葉の大原という漁港の街へ行って、ひたすら風景を描くのだ。自由な学校だったから、その「写生期間」であれば、何日でも滞在してよかった。一週間じっくり絵を描く人もいれば、社会人学生などは日帰りで写生をしていた。私は宿泊費の予算の都合で、毎年二泊三日が限度だった。それも、一番安価な民宿を選んでいた。
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朝、宿で朝ご飯を食べて、画材を抱えて港に行き、ひたすら描く。といっても、試験だったり締切前みたいな焦りはない。ポケットラジオを聞きながら、描いていく。よく晴れた日だと光が強く、目がやられてしまったりした。途中で自分が何を描いているのかわからなくなる。夕方になってはじめて、全容を見ることができたりした。
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このときの絵は、正直なところ、あまり出来はよくなかった。今ならもっと短時間で、うまく描ける自信がある。でも、絵がまずくても、このときの、ただ外に出て、その風景の中にぽつんと佇む一日というのが、今思うとなんと贅沢なことだったかと思う。一日の太陽の動きと、影の移り変わり。風。光の色。丁寧に感じ取る時間だった。
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それに、夜、みんなでアイスを買いにコンビニへ行ったり、花火をしたこともよい思い出になっている。これが学生時代の最後、ということをわかっていた。だから、他愛もないことがすべて輝いて見えた。生活が単純だったし、大人たちに守られていたからこそ、安心して一日を描くことに費やせていた。花火が終わると、夜の海は真っ暗に戻る。それは、いよいよ大人に変身しなければならない重圧のようにも感じられた。
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外で絵を描くことは、今でもできる。でも、それはごく短時間だ。長くても数時間。それではだめなのだ。もっと長い時間、数日、一週間。飽きるほど外にいて、絵を描きたいなと思っている。でも、大人になってしまったいま、生活は非常に複雑になってしまった。仮にそのような期間を作ることができたとしても、絶え間なく心配や連絡ごとが挟まれてくるだろう。集中できる時間が、限りなく短くなっている。
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もっと長く、ゆっくりと、何者にも邪魔されずに風景の中で描きたい。
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そんな思いが、私に水彩絵の具を衝動買いさせている。山積みになった絵の具の山が、いつ本当に外に持ち出されるのか。私にはわからない。
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卒業後、一度だけ友だちに誘われて、同じ大原に写生に行った。日帰りではあったけれど、よく晴れていて、気持ちのよい一日だった。昼ご飯には、ずっと入ってみたかった食堂で、煮魚定食を食べた。そしてまた港に戻って絵を描いた。彼女も写生をしたかったのだろう、とそのときは思っていたのだけれど、実はその数か月前に、私は父親を亡くしていた。きっと彼女は、私を元気づけようと連れ出してくれたのだ。そんなことに、この文章を書きながら気づいたのだった。
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その日、漁港のどこかに、私は愛用のポケットラジオを置いてきてしまった。不思議と惜しくなかった。あれから一度も大原には行っていない。まだ漁港のどこかに、あのポケットラジオがあることをたまに想像してみる。
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最後に聴いたのは、リスナーからのリクエストで流れたユーミンの曲だった。時が止まったような午後の漁港と、初夏の日差し、コンクリートの上に置きっぱなしのラジオ。向こうのほうに見える、友人の帽子をかぶった頭。
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その光景を思い出しては、ふとおかしくなったりしている。
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