what you love is already inside you すべての始まりは、幼き日のお菓子作り|横尾かな
横尾かな(よこお・かな)
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小学生のときに始めた
人に喜ばれるお菓子作り
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ただただかわいい犬をモチーフにしたお菓子の投稿に癒しを求め、その更新を心待ちにする人は少なくない。横尾さんが営む「Maison terrier」のInstagramには、5万4000人を超えるフォロワーがいる。そんな彼女が初めてお菓子を作ったのは、小学3、4年生のとき。「早くから好きなことに出合えたのはラッキーでした」とうれしそうに話す。
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「当時、母が定期購読していた食育雑誌『bonmerci!』には、子ども用の調理キットが付録としてついていました。小さな手でも握りやすい泡立て器などのツールが揃っていて、なかには今でも愛用しているものもあります。自分専用の器具をもらえたことが、とても嬉しかった。お菓子はきっちり計量して混ぜ合わせれば、必ずおいしく仕上がるので、その特性も自分の性格に合っていました。昔は、家に立派なオーブンがなかったし、ガスも使えなかったから、電子レンジやホットプレートで手軽にできるクッキーやクレープを作っていましたね。気づけば、図書カードをもらったら、書店へレシピ本を探しに行くほど夢中に。夏休みの自由研究では、オリジナルのレシピブックを作ったこともあります。とにかく、お菓子作りに明け暮れていました」
てっきり甘いものが好きでお菓子作りを始めたのかと思いきや、その理由はちがった。
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「今もそうなんですけど、私自身はお菓子をそんなに食べません。昔から家族や近所の友達に渡してばかりいましたね。バレンタインデーやハロウィンには、クラス全員にお菓子を配っていました。自分が作ったものをだれかに食べてもらって、喜ぶ姿を見ることが嬉しかったんです。みんなの反応を見るたびに、やりがいを感じていました」
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冷蔵庫のなかには、カップケーキやクッキーなど、ときめく焼き菓子が並ぶ。
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好きなことと将来の夢と、
現実のバランス
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お菓子作りと同じくらいバレエにも夢中になり、13年間続けた。どちらも長く熱心に取り組んだけれど、それらを将来の仕事にしようと考えたことはなかったのだそう。
「ものすごく現実主義なんです(笑)。どちらも好きで続けてきたけれど、パティシエもバレリーナも生計を立てるのが難しい職業だということは幼いながらに理解していました。だから、大人になったら安定した仕事に就くのだろうなと、子どものころから夢を持たずに冷静でしたね」
そこで、進学先として美術系の高校を選び、仕事につながる学科を選択した。
「決められた勉強をする意味が全然わからなくて、普通の高校には行きたくなかったので、デザインの授業に特化した学校を選びました。そのときもやっぱり冷静で、美術系のなかでも一番仕事につながりそうなインテリア学科を選択したんです。手先が器用で、ミニチュアを作るのが好きだったから、建築模型を組み立てる作業が得意でした」
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出荷待ちのメレンゲは、ペキニーズがモチーフ。パッケージも自身でデザインしているという。
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名店の“犬”との出合いで
拍車のかかった作家魂
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着々と課題をこなした彼女は、そのまま推薦入試で美術大学に進学。当時、取り組んでいたテキスタイル作品は、さまざまな生き物をモチーフにしていたが、「Maison terrier」の代表的なモチーフである“犬”にフォーカスするようになったのは、ここ数年になってから。
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「犬に惹かれたのは最近のこと。中学生のとき、西荻窪のレストラン『こけし屋』へ母とバイキングに行ったのですが、そのとき予約しないと食べられないケーキがあると知りました。それから、ずっと気になっていたけれど、お菓子は自分で作ってしまうから何年も食べる機会がありませんでした。やっとそのケーキを口にできたのは、社会人1年目の誕生日。母が予約してくれたチョコレートケーキの実物を見て衝撃を受けましたね。デコレーションの犬は、バタークリームの絞り方だけで毛並みを表現している。シンプルなのに特徴を的確に捉えた造形に驚きました。なにより、顔だけじゃなく全身を立体的に作っているのも新鮮だった。この体験が私の代表作であるメレンゲの原点になっています」
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レストラン『こけし屋』のケーキに乗っていた犬。
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新卒でアパレルブランドの会社に入社し企画職に就くも、最初の配属先は店頭での販売スタッフだった。そんな日々のなかで、募る制作意欲を発散する方法が、お菓子作りだったのだそう。さらに「こけし屋」のケーキとの出合いが、“犬”をモチーフに取り入れた作風を探求するきっかけとなった。
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「それまでずっと手を動かして作るのが当たり前だったので、なにかしたかった。学生時代に制作していた織物だと準備も大掛かりだし、完成まで時間がかかる。でも、お菓子だったら休みが1日あれば、作って写真を撮るところまでできるんです!暇を見つけては、次回作の案を考えていました(笑)。SNSに犬をモチーフにしたスイーツを投稿し始めたのもこのころ。思いがけず大きな反響があって、だんだんお菓子作りの方が純粋に楽しいと感じることに気づきました」
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洋菓子店勤務を機に
食の仕事が身近に
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アパレル企業を離れ、次に就職したのは国立を拠点にする洋菓子店「food mood」。料理家・なかしましほさんが運営するこの場所で働いた経験は、今の活動に大きく影響している。
「母がなかしましほさんの本を集めていたことがきっかけで、お店の存在を知り『food mood』に3年間務めました。通販スタッフとして商品の梱包や発送作業、オンラインショップの写真撮影を担当。それまで、身近にお菓子や料理に携わる仕事をしている人がいなかったので、間近で働き方を見れたのは貴重な経験でした。スタイリングの打ち合わせをして2人で形にしたり、雑誌の撮影現場にアシスタントとして入るうちに、“お菓子作り”を自分の職業とすることに現実味が出てきたんです」
すでに、SNSを通じて多くのファンを持っていた彼女。独立前に開いた個展にはたくさんの人が訪れた。
「初めての個展では、食品衛生法によってお菓子を販売できず、展示のみしていました。それでも買えると思って来てくださるお客さんが多くて、そのあと思い切って保健所の許可が得られるように部屋を改造して製造工房を設けました。この制作場所を作ったことが、結果的に独立を後押ししてくれたと思います」
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ぬいぐるみアーティストwani soumaによるぬいぐるみは、「Maison terrier」のロゴのモデル。看板犬としてイベントに出没することも。
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独立の道を後押しした
両親が働く姿
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2022年に「Maison terrier」として本格的に活動をスタート。今年6月には、1階にスタジオ、2階に製造工房を設けたアトリエの改装工事が完成した。元は日本家屋だったと思えないほど、広々としたキッチンには白を基調とした家具が並ぶ。そこにはさりげなく、犬の置物や絵も飾られていた。
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「どちらかというと本物の犬より、デフォルメされたものにときめきます。普段集めている犬のぬいぐるみや置物などが着想源。犬は種類によって姿や形がまったく異なるのがおもしろいです。“あのぬいぐるみはこのお菓子になりそう”“この型を使えば犬っぽくなるかもしれない”と常に頭の中で考えています」
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日々描き溜めているアイデアスケッチ。紙や手帳には、犬のお菓子のイラストがびっしり。
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自営業というと、一見ハードルが高いように感じるが、横尾さんにとっては自然な選択肢だった。美容師の父と雑貨店を営む母という、両親ともにフリーランスとして働く背中をずっと見てきたのだ。
「家族全員がちがう分野の仕事をしているけれど、両親とも自分の好きなことをすごく大切にする人でした。子どものころから興味を持ったことはなんでもやらせてくれた。そして、自営業をしている両親がどうにかなる姿を側で見てきたから、独立するのも自然な流れでした。もし、うまくいかなくても、別の仕事はいくらでもあるだろうと考えています」
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芳ばしい香りが漂う製造工房。オーブンから出てきたのは、こんがりと焼けたばかりのクッキー。
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美術系の学校を出て、アパレルスタッフとして働き、現在はお菓子作りをしている彼女。一見、遠回りしているように見えるその歩みは、すべて彼女の個性を築き上げる大事な過程だった。
「これまで学んだすべてのことが、今の私の力になっているとすごく実感しています。情報発信や、パッケージ制作にイラストレーターやフォトショップを活用するのはもちろん、多忙な予定をこなすスケジュール管理能力も学生時代に培ったもの。そして、フリーランスになって、人との繋がりの大切さにも気付かされました。今まで出会った方々からお仕事を依頼していただくことが多く、本当に全ての経験が今のお菓子作りを支えてくれていますね」
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