

singing opens the doors 合唱から続く、文筆への道|伊藤亜和
伊藤亜和(いとう・あわ)
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書くのはいつも
興味のままに、流れのままに
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「私の文筆活動は、noteにアップしていた文章から書籍化のお話をいただいたことがきっかけです。意欲的に始めたというよりは、noteという場ができて、みんなアカウントを取って書き始めた流れに、なんとなく乗っただけ。それ以前にやっていたツイッターの延長線上という感覚でした。学生でしたし、誰かに披露できるような専門的な知識もなかったので、自分を題材にするしかなかったんです」
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文筆家・エッセイストの伊藤亜和さんは、活動のきっかけとなったnoteについて、そう振り返る。面白い出来事があったとき、気が向いたら書く程度で、何か目的を持って書いていたわけでもなかったという。
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「書くからには、読んだ人に何かを感じてもらえるような文章を、という意識は始めた当初から強く持っていました。だからこそ、noteには書きたい事柄が起きたときだけ投稿していて、最初の頃は公開頻度も数ヶ月に1回ぐらいでした」
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伊藤さんの当時の執筆スタイルについて聞いてみると、承認欲求を満たすためでもなく、何かに積極的だったわけでもないという。それでも、着実に書き続けていたという印象を受ける。書くことが得意だったから、子どもの頃から書き慣れていたのかと思いきや、決してそういうわけでもなかった。
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「小さい頃を振り返っても、日記をつけていた記憶や、作文についての特別な思い出はありません。子どもの頃から、私にとって書くことは、自分の考えていることや言いたいことを人に伝えるためのツールという感覚でした。楽しくて書いていたということではなく、自分の思っていることが、1ミリもずれてほしくないという気持ちで言葉を選んで文章にしてきました。そもそも、話して伝えることがあまり得意ではなかったと思います。だからこそ、どうしても伝えたいことがある時に、自然と文章を書くようになったんだと思います」
伊藤さんが初めて、自分以外の多くの人に向けて文章を書いたのは、小学3〜4年生の頃。学校で掲示係をしていて、お知らせなどのプリントを貼っていた時に、「どうせ貼るなら、もっと面白いものを貼ってみたい」と思いついた。そこで、誰に頼まれたわけでもなく、「ミステリー新聞」を作って掲示することにした。
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「学校で、児童が入ってはいけないと言われていた部屋の中がどうなっているのか、ずっと置かれている人形についてなど、個人的に気になっていたことを先生に聞いて、それをまとめていました。たぶん『知ってる!』って言いたい気持ちもあったと思います。先生に質問したり、見せてもらったり、写真を撮らせてもらったりと、新聞にすることについては結構アクティブでしたね。目立つタイプでもなかったし、友達が多い方でもなかったけど、クラスの人気者から『これ、面白いね』と言われたり、あまり話したことのなかったクラスメイトに話しかけられることが増えたりして、自分が書いたものを通して、周りとの関係が少しずつ変わっていく感覚がありました。自分から発言するタイプではなかったからこそ、私がどんな人で、どんなことを考えていて、何を面白いと感じているのか、やっぱり友達にわかってほしかったんだと思います。父がセネガル人なので、みんなのお家と同じじゃない部分があるかもしれないけど、同じものを食べているし、同じアニメを見ている。そういう当たり前のことを、文章を通して知って欲しかったんだと思います」
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自作のミステリー新聞は、執筆も撮影も含めた制作から掲示まで、すべて一人で行った。
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歌がひらいた、言葉の扉
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伊藤さんを鼓舞していたミステリー新聞のほかに、小学生時代からもう一つ夢中になったことがある。それは合唱だ。
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「小学生の時から高校2年生まで、横浜市の少年少女児童合唱団に入っていました。小学校で音楽クラブに入っていたのですが、その先生に紹介されて通い始めました。週1回、山下公園にある氷川丸の中のレッスン場で、いろいろな学校の子ども達と一緒に練習して、横浜市の式典などに呼ばれて歌うような活動でした。何より、本当に楽しかった。歌うことの楽しさに気づいたのは、小学生になって初めて学校の集会で歌った時。月に1回、みんなで歌う機会があったのですが『こんなに楽しいことがあるのか』と。心の底から、人生で一番楽しいと感じたんです。そこから歌うことは、自分の中ですごく大切なものになりました」
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合唱団では、『ローレライ』や『サンタルチア』のような、世界の童謡や讃美歌を歌っていた。ほとんどは日本語訳のつけられたものだったが、子どもにとっては、意味のわからない歌詞も多かったという。悲しい曲調だから、きっと悲しい歌なのかな、と想像しながら歌っていた。
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「いろんな国の曲を歌って、外国語を翻訳するとこういう日本語になるんだなと思ったり。昔の日本の歌を歌えば、そこでしか触れたことのないような、日常では使わない日本語にも出会えて。知らず知らずのうちに、合唱曲を通して言葉への興味や知識を得ていたような気がするんです。本の虫というタイプでなかったので、むしろ音楽を通じて、言葉や世界に触れてきたように思っています」
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歌詞にじっくりと触れていたからこそ、昔も今も音楽は歌詞ありき。
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「歌詞が解らないと、その曲自体に愛着が湧きません。
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『ラシーヌ讃歌』の楽譜。同曲は思わず涙が溢れてくるほどに、伊藤さんにとっての思い入れのある大好きな一曲。今秋の合唱団創立60周年記念式典にOGとして出演するため、仲間ととも久しぶりの舞台に向け練習に励んでいるところ。
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言葉で紡ぐ、“普通の私”
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音楽が常に近くにあった伊藤さんにとって、歌に感じていた魅力は書くことにも通じるものであり、二つの間には共通点があるという。
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「言えないことを言える、ということです。たとえば『愛してる』なんて、メロディーなしにはなかなか言えないけど、歌詞の中ではわりとよく出てきますよね。思いを言葉に乗せるところが、歌と文章は似ている。今の私は、書くことが多いのですが、書くことで『そうそう』と自分に納得できたり、『こんなことを考えていたのか』と気づいたりして、自分の気持ちが整理されていくんです。私にとっては、歌うことも書くことも、言葉が流れるように紡がれていくもので、とても距離の近いものだと感じています」
歌うことに熱心に取り組んできた伊藤さん。その時期は、ちょうどツイッターを始めた頃とも重なる。では、書くことには、いつ転機が訪れたのだろうか。
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「文章を書くことにおいて、これといった転機は思いつかないんです。作家になろうと思って書き始めたわけでもありません。ただ、自分がある程度文章を書けて、それを評価してもらえたという実感があったのは、大学の時。講義でたくさんのレポートを提出するようになり、教授に褒められたりして、“ちゃんと書けるんだ”と自分でも思うようになりました。その頃に褒められた課題については、よく覚えています。フランス人小説家のエミール・ゾラを研究している教授の授業で、翻訳の課題が出されたのですが、『和訳がすごく綺麗』と褒めていただいたたんです。その先生は講義も面白くて、大好きな先生でした。知識のある人に、自分が考えて訳した文章を認められたことがとても嬉しかった。“人に読んでもらえるような文章を自分も書けるんだ“という自信になったことを覚えています。でも、今振り返ると、あの頃の文章はかなり背伸びしていたとも思います。『あらまほし』みたいな、普段使わない言葉を使っていて、自分の文章じゃないような感じもあります」
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言葉の世界を広げる喜びに気がついたのはいつだったのだろうか。そのアンテナが芽生えた時期について尋ねた。
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「卒論を書くにあたって、資料室で古い文献を引っ張り出して読むようになりました。そうすると、現代では使われていない言葉がたくさん出てきて、それを解読していくこと自体が楽しくて。それを機に、昔の文章を読むなかで、知らない言葉を自分のものにしていく過程が好きになりました。でも、やっぱり文章って、読まれて理解されることが前提なので、今の私がそういった広く知られていない言葉を使って書くことはしないですけどね」
古語への興味や言葉に対する鋭い感覚はそのままに、エッセイでは平易な言葉を用いて、自分自身をトピックに書き続けている。その文章には自分を飾るような言葉はなく、それだけに「赤裸々だ」と評されることもあるという。
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「“赤裸々”という言葉には、私のなかでは『言葉を選ばずに語っている』という印象があります。でも私は、本心を書いているけれど、書き方にはすごく気を配っているし、言葉も丁寧に選んでいる。だから、私の文章は“赤裸々”とはちょっと違うと思っています。嘘は書いてないし、ある意味では曝け出しているかもしれないけど、いろんな視点から自分を客観視したうえで、すべて自覚して書き切っているつもり。だからこそ、書かれている内容について“変だ”とか、“性格が悪い”とか、“どうかしている”と思われても、そういう評価はまったく気になりません」
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文筆家として、またラジオパーソナリティとしても活動の幅が広がってきている今、表現者として、これからどのように進んでいきたいと考えているのだろうか。
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「もともと、何か書きたいことがあるわけではなくて、ただ淡々と、自分が考えていることを書いているだけなんです。主張があるわけでもなく、社会に対する怒りのような感情もない。ミックスルーツだからこそ思うことかもしれないけれど、その部分を強調されたり、何かにカテゴライズされたりせずに、ただ“普通に存在していたい”と思うんです。本を出したり、喋ったり、ときどきテレビに出たり、そうやって、みなさんの日常の中に溶け込んでいる“普通の人・伊藤亜和”として認識されて、人目に触れ続けていけたらと思っています」
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